海を渡った110 年前のサクラ製品
〜中国・武漢市の「博物館」に展示〜
サクラグループの中国現地法人、櫻花医療科技(泰州)有限公司の船谷総経理から、中国・武漢市にある「中山艦博物館」の黄文建様より博物館の陳列品に関して問い合わせが来ていると連絡がありました。問い合わせの内容は「製品に『東京本町三丁目、鰯屋松本器械店、G.MATSUMOTO&CO.TOKYO』の銘板が付いている、もう一方の製品には櫻のマークがある銘板が付いている。中山艦は1912 年に日本から購入した船であり、製品の写真はサクラの110 年前の製品でしょうか?」とのことでした。
江戸時代から明治時代の古い資料を保管している、当社で古い資料をあたったところ、1910(明治43)年10 月発行の「いわしや松本器械店、医科器械目録第十六版」があり、この112 年前発行の目録であたりました。目録の発行者は当時の松本福松社長(代表社員)です。銘板を確認しただけでサクラの製品とわかりましたが、正式名称のご質問を受け、目録をあたってみますと「シンメルブッシュ氏煮沸消毒器」と「シンメルブッシュ氏乾燥装置附蒸気消毒器」でありました。 銘板でサクラの製品であると確証を得たことと、「G.MATSUMOTO」も「東京本町三丁目」も「鰯屋松本器械店」も松本会長の祖父が発行した医科器械目録に記載されておりましたので、「中山艦博物館」へは船谷総経理経由で、110 年前のサクラ製品ということと、質問のありました正式名称・用途・会社の紹介をすることができました。
また、「G.MATSUMOTO&CO.TOKYO」の「G」は、松本謙一会長によりますと松本儀兵衛翁の「G」を使っているとのこと。ちなみに松本儀兵衛翁は松本福松翁の一代前の代表者で、松本謙一会長の曾祖父にあたります。サクラは古い歴史的資料を数多く保管しており、改めて歴史の重み、資料の大切さを知ることができた出来事でした。
江戸時代から明治時代の古い資料を保管している、当社で古い資料をあたったところ、1910(明治43)年10 月発行の「いわしや松本器械店、医科器械目録第十六版」があり、この112 年前発行の目録であたりました。目録の発行者は当時の松本福松社長(代表社員)です。銘板を確認しただけでサクラの製品とわかりましたが、正式名称のご質問を受け、目録をあたってみますと「シンメルブッシュ氏煮沸消毒器」と「シンメルブッシュ氏乾燥装置附蒸気消毒器」でありました。 銘板でサクラの製品であると確証を得たことと、「G.MATSUMOTO」も「東京本町三丁目」も「鰯屋松本器械店」も松本会長の祖父が発行した医科器械目録に記載されておりましたので、「中山艦博物館」へは船谷総経理経由で、110 年前のサクラ製品ということと、質問のありました正式名称・用途・会社の紹介をすることができました。
また、「G.MATSUMOTO&CO.TOKYO」の「G」は、松本謙一会長によりますと松本儀兵衛翁の「G」を使っているとのこと。ちなみに松本儀兵衛翁は松本福松翁の一代前の代表者で、松本謙一会長の曾祖父にあたります。サクラは古い歴史的資料を数多く保管しており、改めて歴史の重み、資料の大切さを知ることができた出来事でした。
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シンメルブッシュ氏【煮沸消毒器】
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シンメルブッシュ氏【乾燥装置附蒸気消毒器】
鰯屋松本器械店時代の器械が…
サクラの古い器械についてクリニックの奥様より何の器械か調べてとメールがあったとのことで、調査依頼がありました。
サクラの器械と判断致しましたのは、上記の中国・武漢市の「博物館」に展示されている製品の「銘板」とサクラのマークがある以外は同じでしたので、サクラ(鰯屋松本器械店)がお届けした品と判断致しました。約100年前の器械です。
明治時代の目録・大正時代の目録・サクラの古いカタログ・価格表・DIC・MICなどを久しぶりに1ページ目から括ってみました。全く同じ箱入りの器械はどこにも載ってなく、セットされた一つ一つを目録で探しましたら、一つはクレニッヒ氏腰椎穿刺針とジーフェンバック氏動脈狹子(クレンメ)などで、これらをセットして箱に入れて腰椎穿刺針・穿刺器として販売していた器械であると判断致しました。
「解説医科器械」で調べたところ、用途は腰椎部に穿刺して脳脊髄液の採取、検査および薬液の注入・圧力測定に使用し、使い方は針尖を所定部位に穿刺してからマンドリンを抜き、カランを閉鎖するとありました。付属品は、圧力測定用ガラス管・比重計・ニッスル氏蛋白計など付属するとありました。
当社発行の明治43年(1910年)と大正7年(1918年)の目録で確かめました。銘板にサクラのマークも使われていました。
もう一つの商品を調べましたが、正確なものはありませんでしたが、銘板はサクラのものですので、特別な形状をしたデアツオ氏反應試験管が組み込まれておりますので検尿器(反応試験)と判断致しました。
明治時代の目録・大正時代の目録・サクラの古いカタログ・価格表・DIC・MICなどを久しぶりに1ページ目から括ってみました。全く同じ箱入りの器械はどこにも載ってなく、セットされた一つ一つを目録で探しましたら、一つはクレニッヒ氏腰椎穿刺針とジーフェンバック氏動脈狹子(クレンメ)などで、これらをセットして箱に入れて腰椎穿刺針・穿刺器として販売していた器械であると判断致しました。
「解説医科器械」で調べたところ、用途は腰椎部に穿刺して脳脊髄液の採取、検査および薬液の注入・圧力測定に使用し、使い方は針尖を所定部位に穿刺してからマンドリンを抜き、カランを閉鎖するとありました。付属品は、圧力測定用ガラス管・比重計・ニッスル氏蛋白計など付属するとありました。
当社発行の明治43年(1910年)と大正7年(1918年)の目録で確かめました。銘板にサクラのマークも使われていました。
もう一つの商品を調べましたが、正確なものはありませんでしたが、銘板はサクラのものですので、特別な形状をしたデアツオ氏反應試験管が組み込まれておりますので検尿器(反応試験)と判断致しました。
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櫻印腰椎穿刺針・穿刺器の箱入りで、写真では穿刺針大は失われています
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櫻印検尿器(反応試験)箱入りと思われる器械
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銘板には、明治時代に使用していたロゴと、サクラのマークが使われています
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大正7年8月1日(1918年)発行のサクラ目録(図録)から
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昭和29年1月31日(1954年)日本医科器械目録編纂所 発行
DIC GENERAL MEDICAL INSTRUMENTS CATALOGUE -
明治43年10月15日(1910年)発行のサクラ目録(図録)から
山口クリニック様から頂戴致しました器械には、ご丁寧に山口醫院様の経緯と歴史が記された手紙が添付されており、現山口クリニックの山口巌院長様から頂きました。失礼と思いますが簡単にご紹介いたします。
初代の方は山口順良様で江戸末期に誕生され、山口規知医師から医業の権利を受け継ぎ京都府丹後国加佐郡田中村にて医業を受け継ぎ、のちに某氏から高浜に医師が居ないのでと、ぜひにと乞われ高浜町で「山口醫院」を開業されました。
二代目の方は山口巌様で大阪高等医学校(大阪帝国大学)卒、地域医療に専念され、入院施設を完備したモダンな洋館の醫院(写真貼付)とし「貧富の差なく人々に医療を」と手帳に走り書きがあった由。
三代目の方は山口順一郎様で東京医学専門学校(東京医科大学)卒、舞鶴市の海軍共済病院に勤務しながら山口醫院を継いだとのこと。
四代目の方は三浦正博先生で夜間診療も長きにわたり続けたが平成5年末で惜しまれて山口醫院は閉院したとお手紙にありました。
器械を頂戴致しました方は、山口クリニックの山口巌(祖父の方と同名)院長様からで、奥様の久仁子様が遺品整理の折に「鰯屋松本器械店」の銘板が貼付された器械が2点あり、調べて欲しいとの依頼からこの記事になりました。現在の山口クリニック様は兵庫県尼崎市神田南通で開業されております。
ご厚意で頂きました器械は本社展示場に、エムカテラ顕微鏡・千代田顕微鏡・メス、剪刀等の鋼製小物と明治時代からの資料と共に展示致しました。サクラの歴史を改めて感じて下さい。
初代の方は山口順良様で江戸末期に誕生され、山口規知医師から医業の権利を受け継ぎ京都府丹後国加佐郡田中村にて医業を受け継ぎ、のちに某氏から高浜に医師が居ないのでと、ぜひにと乞われ高浜町で「山口醫院」を開業されました。
二代目の方は山口巌様で大阪高等医学校(大阪帝国大学)卒、地域医療に専念され、入院施設を完備したモダンな洋館の醫院(写真貼付)とし「貧富の差なく人々に医療を」と手帳に走り書きがあった由。
三代目の方は山口順一郎様で東京医学専門学校(東京医科大学)卒、舞鶴市の海軍共済病院に勤務しながら山口醫院を継いだとのこと。
四代目の方は三浦正博先生で夜間診療も長きにわたり続けたが平成5年末で惜しまれて山口醫院は閉院したとお手紙にありました。
器械を頂戴致しました方は、山口クリニックの山口巌(祖父の方と同名)院長様からで、奥様の久仁子様が遺品整理の折に「鰯屋松本器械店」の銘板が貼付された器械が2点あり、調べて欲しいとの依頼からこの記事になりました。現在の山口クリニック様は兵庫県尼崎市神田南通で開業されております。
ご厚意で頂きました器械は本社展示場に、エムカテラ顕微鏡・千代田顕微鏡・メス、剪刀等の鋼製小物と明治時代からの資料と共に展示致しました。サクラの歴史を改めて感じて下さい。