サクラグループのあゆみ(主なできごと)
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安土桃山・江戸
1596〜1615(慶長年間) 鰯屋松本久左衛門、泉州堺にて網元として薬種商を営む 1624〜1644(寛永年間) 鰯屋松本市兵衛、泉州堺より江戸に出て薬種問屋を開く (数代後、松本市左衛門に改名) 1692(元禄5年) 『諸國萬買物調方記』に薬種問屋として本町三丁目、鰯屋市左衛門と掲載される 1819(文政2年) 『江戸買物獨案内』本町薬種問屋にいわしや市左衛門と掲載される 1830~1844(天保年間) いわしや市左衛門、外科道具品々奈架久則作を発行 1853(嘉永6年) 松本儀兵衛、出生(柏木村、松本重兵衛長男) -
松本儀兵衛広告
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明治
1871(明治4年) 松本儀兵衛、いわしや松本市左衛門店(薬種商)で医療器械専売部門を創設(後年サクラ精機株式会社となる) 1877(明治10年) 松本市左衛門(責任者、松本儀兵衛)第1回内国勧業博覧会に出品 1901(明治34年) 松本市左衛門店を改組法人化し、合資会社いわしや松本器械店を設立
松本福松、代表社員就任(資本金85,000円)1903(明治36年) 櫻(さくら・サクラ)の商標使い始める 1906(明治39年) 合資会社冠工社設立(鉄小物ほか製造) 1907(明治40年) 櫻(さくら・サクラ)の商標、商標法により登録 1908(明治41年) この頃、松本儀兵衛、さくらの商標を写真材料部門に限り小西六に譲渡 1911(明治44年) 顕微鏡的檢査器械目録(第一號)発行
松本福松、東京医科器械同業組合初代組長に就任
独ドレスデン万国衛生博覧会、ワシントン万国赤十字総会博覧会出品(城井式石油灯孵卵器) -
鰯屋松本器械店の銘板
中国武漢市の博物館より
櫻印注射針・櫻印硝子製注射器
村越式無痛電療器広告
合資会社いわしや松本器械店銘板
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大正
1914(大正3年) エム・カテラ顕微鏡(最初の国産で千代田顕微鏡の前身)製造・販売開始。エム・カテラ商標登録 1917(大正6年) 合資会社松本製作所(個人経営の製造部門を法人化)設立。 代表社員に松本福松就任。資本金55,000円 1923(大正12年) さくらのいわしやを商標登録
(いわしやを名乗る同業者との間違いが多いため)
松本福松、日本医科器械学会初代委員長に就任
松本製作所、関東大震災で工場全焼 -
エム・カテラ顕微鏡の登録商標
エム・カテラ顕微鏡
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昭和
1928(昭和3年) 合名会社いわしや松本薬品部設立 1934(昭和9年) 千代田顕微鏡誕生(エム・カテラを改名)商標登録する
合資会社松本製作所を合資会社千代田製作所に改称1942(昭和17年) 千代田製作所井の頭工場(顕微鏡製造部門)を分離独立し、千代田光学工業株式会社設立。社長に松本福松就任。資本金500,000円 1947(昭和22年) 終戦後の東京本社完成。営業再開
株式会社いわしや松本器械店設立
松本善治郎、社長就任。資本金10万円1950(昭和25年) 松本福松没(享年83歳) 1958(昭和33年) 日製産業㈱と日立理科学器械の代理店契約結ぶ
武田薬品工業㈱と土地所有権移転
日本橋本町二丁目から日本橋本町三丁目現在地へ
第一回特約店代表者会議開催(以降毎年継続開催)1960(昭和35年) 新本社ビル完成(旧社屋前、現在地)
地下1 階、地上4 階(後に増築5階建てとなる)1962(昭和37年) 松本善治郎、東京医科器械同業組合 第10代理事長に就任
「サクラ精機株式会社」と社名変更
松本善治郎、日本医科器械商工団体連合会会長に就任1963(昭和38年) 松本謙一常務、欧米長期単独出張
輸出先開発の第一歩を踏み出す1968(昭和43年) 松本善治郎、日本医科器械学会 第3代理事長に就任 1970(昭和45年) アムスコ社との業務提携、政府認可 1970(昭和45年) マイルス・三共㈱とティシュー・テック製品の販売提携
松本善治郎、勲四等旭日小綬章を受章(満70歳)1973(昭和48年) 代表取締役社長 松本善治郎没(享年73歳)
松本謙一、サクラ精機と千代田光学工業 代表取締役社長に就任1977(昭和52年) 第一次サクラ米国医療施設・システム視察団(以後隔年実施) 1978(昭和53年) フェザー安全剃刀㈱と替刃式ミクロトーム刀ほか販売提携 1979(昭和54年) サクラエンジニアリング株式会社(SEC)設立
米国マイルス社とティシュー・テックVIPについて委託製造契約を締結1980(昭和55年) キューバ政府と技術援助契約第一号締結(小型オートクレーブ現地組立) 1981(昭和56年) 株式会社いわしやサクラ設立 1983(昭和58年) スウェーデン・メドスキャンド社と自動封入装置について技術提携
新本社ビル竣工(地下1階、地上8階)1986(昭和61年) 米国現地法人サクラファインテックUSA(SFA)設立
(カリフォルニア州・トーランス市)1987(昭和62年) 中国サクラサービスセンター(中国医療衛生器材進出口公司櫻花精機技術服務站)(北京市、日中友好病院内)開設 -
千代田顕微鏡の商標
千代田顕微鏡B2-bi
終戦後の新社屋
1960年当時の本社ビル
業務提携したアムスコ本社
マイルス・三共との提携商品第1号である 病理組織標本作製機器 ティシュー・テック用カセット
キューバ政府と技術援助契約第一号締結(1980年) フィデル・カストロ首相とともに (キューバ・ハバナにて)
サクラファインテックUSA
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平成
1989(平成元年) 松本謙一、日本医科器械商工団体連合会会長に就任 1991(平成3年) 『サクラ精機百二十年史』を刊行 1993(平成5年) 松本謙一、海外医療機器技術協力会(OMETA)会長に就任 1994(平成6年) 北京事務所設立(中国・北京市)
サクラファインテックヨーロッパ(SFE)設立(オランダ・ライデン市)1995(平成7年) 米国バイエル社の病理・細胞診断検査事業を買収。世界戦略を強化拡充
日本医療機器関係団体協議会3代目会長に松本謙一就任1996(平成8年) 松本謙一、藍綬褒章を受章 1998(平成10年) 米国現地法人サクラファインテックUSA(SFA)の新社屋完成(カリフォルニア州・トーランス市)
医療機器業公正取引協議会設立、松本謙一が初代理事長就任2001(平成13年) ラボラトリー事業部門を分離独立し、サクラファインテックジャパン株式会社(SFJ)設立 2005(平成17年) 産業関連部門を分社し、サクラエスアイ株式会社(SSI)設立
サクラ精機と千代田製作所が合併し、新生「サクラ精機株式会社」(SSC)誕生
社内報『サクラだより』第1号が発刊される(『サクラライフ』『千代田だより』を統合2007(平成19年) 松本謙一、旭日中綬章を受章 2008(平成20年) 業務受託部門を分社し、サクラヘルスケアサポート株式会社(SHS)設立
松本謙一、日本医用機器工業会(現 一般社団法人日本医療機器工業会)理事長に就任2009(平成21年) サクラグローバルホールディング株式会社(SGHC)設立 2010(平成22年) サクラファインテックヨーロッパ新社屋完成(オランダ・アルフェンアンデリジン市) 2011(平成23年) 中国現地法人、櫻花医療科技(泰州)有限公司(SCN)設立 2013(平成25年) サクラファインテックヨーロッパ社長にクリス・コーマン就任
松本謙一、一般財団法人松本財団設立(後に松本記念財団)2014(平成26年) サクラファインテックジャパン、ラボ・スクエア「さくらぼ」オープン
サクラ精機、「サクラとぴあ」オープン
スマートセクションが経産省/日本機械工業連合会のロボット大賞、日本機械工業連合会会長賞を受賞
エム・カテラ顕微鏡が国立科学博物館の重要科学技術史資料(愛称・未来技術遺産)に登録2015(平成27年) サクラファインテックUSA、米国ジーンメッド・バイオテクノロジーズ社(免疫組織染色事業)を買収
サクラファインテックUSA社長にカム・パテル就任2017(平成29年) 『経営者は遊び心を持て 空飛ぶ怪鳥・松本謙一の人間学』を発刊 2018(平成30年) 単回医療機器再製造推進協議会(JRSA)発足。初代理事長に松本謙一就任 -
サクラファインテックヨーロッパ
サクラ精機長野本社
サクラ精機教育センター
旭日中綬章を受章(2007年11月)
さくらぼ(サクラファインテックジャパン)
病理標本作製技術の歴史・現在・未来を体感できる、本格的なウェットラボです。Web 体感型ラボ『バーチャルさくらぼ』も開設
サクラとぴあ(サクラ精機)
3Dコンピューターグラフィックの設計シミュレーションによる最新映像を駆使した未来の医療活動体験パーク
2015年、国立科学博物館で開催された「国産顕微鏡100 年展」で展示
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令和
2019(令和元年) サクラファインテックジャパン・アジア リージョナルオフィス(マレーシア)設立
松本謙一、即位の礼に医機連会長として参列
松本謙一、内閣官房健康・医療戦略室健康・医療戦略参与に任命される2020(令和2年) サクラ精機、中国・上海に上海富吉医療器械有限公司と合弁会社(富櫻(上海)医療器械有限公司)・工場を設立 2022(令和4年) 中国・泰州に「サクラ中国工場」(樱花中国工厂)、新工場を稼働開始
サクラ精機、長崎市に研究開発センターを開設2024年(令和6年) サクラファインテックジャパン、サクラファインテックマレーシア(SFM)設立 -
櫻花医療科技(泰州)有限公司